静岡県富士宮市 | 日蓮宗 妙境山 円恵寺

〒419-0314 静岡県富士宮市大久保216 TEL 0544-65-0178
今月のおしえ
Sermon of this month
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 道徳や常識は、その時代ものもの。したがって時代が変われば、その意味も違ってくる。転じて、伝達のツールである「ことば」も過去の使い勝手が変わって活用されることがままある。「噛んで含める」とは、言い聞かせて理解させるという慣用句である。二つの語を繋いで意義深い内容になっている。
 これが今や「噛んで含むように」すなわち自分自身で噛みしめるという、自らに言い聞かせる意味に変わった。学校や社会では、現在普通に使われる。いわゆる「誤用」なのだが仕方がない。世間の力には及べない。これも時代の流れ逆らえない許容範囲なのかもしれない。
 仏法は、「言辞柔軟にして衆の心を悦可せしむ」手間はかかるけれど良いことは、まだまだたくさんあるのだ。

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 7年前の3月11日を明日に控える。無論東日本大震災のその時をいう。私たちは、このことにどれだけの意識を傾けることができるか…甚だ遺憾と察する。今もボランティアで、現地の方々と交流を続けている人を知っている。彼は「7年前から、終わりのない行動となった」という。それは彼の意識であって、ボランティアを率先して行う方々とは、また違ったモチベーションだと思う。だから熊本や広島にも、早速に駆けつけられる姿勢とは異なる。
 彼いわく「多くの死者は葬ることができた。しかし生者、生きていかなければならない人たちの魂を鎮めることは難しい…だから、こうして時間がかかるのだ。まだまだ終れない」
そもそも仏法は、世知辛いこの世を生きるわたしたちのために、釈尊が示した教えなのだから、私たち僧職は本来のすべきことを伝えていかねばならないと言い聞かせる。

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 「おかあさん、おいしいよ!」って聞こえてきそうな絵である。子どもに食事を与えているのはおかあさん。おかあさんに「おいしいよ」という子ども。おいしいよは、いつの日にか「ありがとう」に変わっていくのは、この親子には自然のこととなる。つまり、「おいしいよ」と言える子は母親が自分のために、あるいは家族のためにおいしい食事を作ってくれることを知って(見て)いるからなのだ。
 こういう親子は、おそらく食前に「いただきます」を言える親子だと思う。というのは、母親は当たり前に食事を作るだけではなく、食事となる野菜やお米、パンかもしれない。そのものにはすべて尊い「いのち」があり、それらの命をありがたく「いただく」ということを教えられる。そうすることによって、あらゆる「いのち」をいただくことは、その「いのち」に生かされていることを子どもは知るということなのだ。
 あたりまえかもしれないけれど、この当たり前がそうでなくなってきているから注意を引きたいのである。

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 国際連合が定めた「国際平和デー」は9月21日とされる。一方、バチカンのローマカトリック教会では1月1日を「国際平和の日」として、今年は第51回を数える。
 この日、フランシスコ法王は恒例のメッセージの中で核廃絶を訴えた。世界の諸団体が同じことを唱える中で、法王が示した一枚の写真が話題となっている。長崎に原爆が投下された後、火葬場で亡くなった弟を背負い、直立不動で火葬の順番を待つ少年。この写真に法王が「これが戦争の結末」ということばを添えて配布しているそうだが…。確かに、インパクトが大きいだけに、核の恐ろしさや被爆国に目を向ける入口になってくれることを祈って止まない。それには十分すぎる一枚と言えよう。
 私はこの一枚から見て取れる平和の形は、見る者の創造として捉えることを勧めたい。なぜならば、戦争体験者と戦争を知らない世代、被爆国とそうでない国々がある。したがって受けとめ方にも違いが生じるのは避けられない。人はそれぞれに違った見方ができることは決して悪いことではないと思う。

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 昭和40年代から50年代になると、日本は表面上何にも安定した時代へ入って行った。昭和30年代は戦後の復興から試行錯誤を繰り返して、より良い暮らしを求めた時代。そんな時代の移行を子どもながらにも眺めてきた。だから我々の成長は著しい勢いのようなものを肌で感じつつ、それぞれが大なり小なり夢を抱いた。6人組の成長も、正にその通りであったと思う。
 ツトム君とテッちゃんとは学校も一緒だったこともあり、高校3年間の動向はよくわかっていた。ショーちゃんは寺の門前だったが、野球少年だった彼は高校でも毎日白球を追っていた。ケイコは日曜日となると寺に花を届けてくれたので顔を合わせることはあった。マサルも日曜日ともなると、決まって午後から寺(家)にやってきた。私はというと、日曜日は専ら寺の手伝いというより、僧侶の手習いだった。
 盆と正月は必ず6人で一年を振り返り、そして迎える年にあれこれと想いを馳せた。幼少期からつづいている慣わしならわしでもあった。あたり前に交わす、このことはいつも寺に寄せるのも当然のこととなっていた。これは、高校になっても変わらず、その後もしばらくは続いていくのであった。

つづく

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 『女城主 直虎』が終わった…。最終回は「を継ぐ者」。タイムリーに見ることはできなかったが、年明けてようやく見ることができた。

 さて、14と90っておわかりか?
棋士藤井颯太4段14歳と加古里子かこさとし童話作家90歳のことだ。この隔たりって凄いことだと。比べようがないようだが、私は深い縁を感じてならない。
 直虎の最終回で、劇中の直政の台詞「百尺竿頭一歩を進む 大死一番絶後再び蘇るひゃくしゃくかんとういっぽをすすむ だいしいちばんぜつごふたたびよみがえる」、これは南渓和尚も依然ドラマの中で窮地に立った直虎に発した禅のことばだ。意味は長い多くの苦しみを味わいながらも、人間はまだあえてその先を進もうとする。一つの死にも、多くの死にも決して無駄にしてはならない、たとえ時間がかかろうとも必ずや報われる(蘇る時)時が来るのである。

 藤井4段は数多あまたの棋士がいる中で、若年であるが故に注目をされている。「てんぐちゃん だるまちゃん」作者である加古里子は90歳にして新作を3本世に送った。生涯現役でいることの思議。年齢ではない、その人でもない、ましてや人道生き方ともちがう。藤井颯太の意志、加古里子の意志という魂はここに在って無性むしょう(形や場所が定まらないこと)であるという仏法の奥義がここにあるだけだ。いわゆる「意志を継ぐ者」とはこれ如何に…。


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 『深夜食堂』というコミック誌連載がテレビそして映画になった。私もファンの一人である。恐らく都内だろう、街の片隅に深夜0時から翌朝7時頃まで店を開ける深夜食堂と呼ばれるめし屋がある。中年の店主が一人で切り盛りして結構繁盛している。品書きには豚汁定食と酒だけが書かれているが、客の注文によってできるものは提供するというちょっと変わったシステム。でもこんな店どこかにあるかもしれない。
 一話一話のタイトルが客の所望する料理の名前、たとえば「たまごサンド」や「赤いウインナーと卵焼き」だったり「猫まんま」なんてものもあったりする。主人公は深夜食度のマスターと呼ばれる男だろうが、一話完結の設定であるから、むしろそのはなしで登場する、つまり深夜食堂の暖簾のれんをくぐってくる人物と所縁の「メニュー」がお話しの主あるじに違いない。
 人は、人生に様々な思い入れがある。それが食べ物自体への想いだったり、あるいはそれを通して誰かとの想い出だったりすることは誰にも一つや二つあるものである。

 私たちは、過去の出来事や行いによって成長している。それは、人であったりモノであったり。いいこともあった。辛いこと、悲しいこともあった。これら因縁によってもたらされる結果を人は勝手に怨んだり、喜んだり…と。しかし、いずれ今のその想いもやがては遠い過去のこととして憂うることとなる。

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 私は、高校を卒業後、宗門の大学へ進んだ。寺の跡取りということもあった。「自覚」だ。小中高と地元で過ごしてきた。家は寺だが…、「家が寺?」という言い方も少しおかしいが。我が家の中では普通に両親も妹も、もちろん私も極自然な形で会話に溶け込んでいる。友達に言われた
「君んち、お寺なんだろ」
「そうだよ。家が寺だよ」
「それっておかしくないか」
「なんで」
「だって、家は家だろ。家は寺じゃないでしょ」
『そうか、寺が家ならまだしも。家が寺は確かにおかしいかも…』
これが、事実私の出家得度しゅっけとくどのきっかけとなった。もう少し詳しくいうとこういうことなのだ。父親(僧道では師匠、師範ともいう)の口癖は
「うちは仏さまに生かされている」
仏飯をいただいているともいう。生業なりわいが僧職なのだから当然とも言えるが、子供心にも
『いや、お布施というもので生活ができてるんじゃないの…』
リアルだった。

 5人組とは、中学まで常に一緒だった。高校はそれぞれに志望するところに収まった。私はツトム君とテッちゃんと同じ。ショーちゃんは工業高校へ。ケイコは地元の女子高。マサルは電車通学をする隣の市の高校へ進学した。高校に進むと自分の生き方だったり、個性が表面化する行動をとるようになる。それは将来を見据えた身の置き所を得たということでもある。

つづく

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 『逍遥』で紹介したが、NHK朝ドラ「わろてんか」は吉本興業創業者の藤岡せいの半生を描く。その第一話、藤岡家の客間に掲げられた額には「是好良薬 今留在此」とあった。薬問屋だけにNHKの小道具さんも、ここに相応しい演出をしている。これに目を留めた視聴者も多かったのではなかったか…。「良い薬は此処にあります」がドラマ中の意味になろうが、実はこの後に続く法華経寿量品の一節があるかないかでガラッと意義深いこととなる。それは、「…汝可取服」。つまり「汝取って服すべし」釈尊の大慈悲の心がそれである。
 「良薬を今ここに留め置くから、おまえたちこれを手に取って飲むとよろしい」とお経文は示される。つまり、寿量品の良医治子喩は、毒薬を誤って飲み本心を失った子どもたちに、父親の医者は、いい色で、いい香りで、いい味わいの薬を調剤した。しかし子どもたちは直ちに飲む子、しばらく考えてから飲む子、一向に飲もうとしない子どもに分かれた。それぞれに受けとめ方が違うという人間の本性を説き示す。そして、この釈尊の行動こそが遠く隔たりのある対告衆(私たち)への気がつかせるというきっかけを促しているのである。

 父親たちを待つ間、のぼせた頭で考える。親たちに黙って出かけたこと。それも自転車で遠出をさせたこと。ケイコの弟の友達が持病を持っていて、それを確認できていなかったこと。これらの結果はすべて自分の責任にある。そして、一緒に行動をした仲間とケイコの弟、そのともだちにも申し訳ない気持ちもある。しかも、ケイコの弟の友達が具合が悪くなったことで誰一人として不平も不満も口にしないばかりか、雨風も吹きつける最悪な状態にもかかわらず、黙って黙々とペダルを漕ぎ、時には互いに励ましたりと…。『どうしてだろう…。辛いわけではない、悲しいわけでもないけれど』涙が止まらない。
 間もなくして、父親が運転する車がこっちに向かってくるのがわかった。その後に続いている車が2台あった。そのうちの1台はショーちゃんちの荷台がある幌付のトラックだった。

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父が車を降りてきて言った。
「大丈夫か」
『大丈夫じゃないよ…』
心では思ったが、コクリと頷いてみせた。
すぐに、ケイコの母親と弟の友達の両親が
「悪かったね、足手まといで迷惑をかけちゃって」
『えッツ、どうして』
ケイコの母親がつづいて
「ケイコは、今回のこと知らせていったのよ。弟もどうしても行きたいってせがんだしね。それにお友達もさそったでしょ。だから余計にね。」
また、弟の友達の母親は
「今回の計画書を見せてもらって、これなら大丈夫だろうって思ったから行かせることにしたの。頼もしいお兄ちゃんたちも一緒だしね。本当にごめんなさいね。」
こんなことだったとは、知らないのは自分だけだったのか。恥ずかしい話だが、子どもなりにも綿密に練った自信作の「計画書」は、親たちの知るところになっていたのだったとは。
 防風林に行くと、みんなは固まっていた。ケイコの弟の友達も落ち着いた様子だった。気がつけば、もうすっかり暗くなってしまっている。いかにせん、親たちはこのままこの先も自転車で帰らせるわけには行かない。そこで、ショーちゃんちの営業車の登場となったのだった。自転車をトラックの荷台に積み終わると帰路についた。それぞれにマサル、テッちゃん、ツトム君を送った。どの親もみんな
「大変だったね」
「よかったよかった」
「まあ、無事でなによりだね」
口々に我が子に言い聞かせた。もちろん、心配をかけたことも諭された。
最後に、ショーちゃんと寺の門前で別れた。別れ際に、いつもの通りに
「また、明日ね」
と交わした。

つづく

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 季節は処暑から白露へ。今年の夏の晴天率は20%未満だった。確かに全国で水には悩まされた。しかし、夏のはじめは、各地で水不足を呪った。
 「水」は我々に多くのことを教えてくれる。上善水如のそれである。水は最善であるが故に、その教えは万物に益するを与え、他とも争わず、また器に従って自らを沿い、さらには低い位置に至柔するという水の性質は讃えられる。
 著名なのは老子の「天下の至柔しじゅうは、天下の至堅しけんを地騁ちていす。無有むゆうは無間むかんに入る。」すなわち、この世で一番柔らかいものが、一番堅いものを思い通りに動かす。実体のないものが、低く隙間に入っていく。

翻って、宗祖日蓮聖人は信仰を「火」と「水」に譬えられる。儒道論語にも精通された宗祖ですから、無論「水」の信仰を推奨されます。「火は法門を聞いたときは燃え立つが、しばらくすると薄らいでしまう。水のごとくは、いつも常に退せずして揺るぎない」信仰をいう。

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お盆月。今月はご先祖をお迎えし心からのお持て成しをするわけで、ことのほか御仏のことばを沢山聞くことができる時となろう。
 私たちの、拠り所である釈尊の教えは、西天の月氏国から大陸に伝わった漢訳経典をそのまま頂戴している。したがって、難解であることはいうまでもない。しかも、現在の一般に普及されている経典は、既成教団各宗派の解釈になるからなおさらであるのだ。
 お釈迦さまのやさしさを、人は慈悲という。経文から、あるいは前生譚(ジャータカ)といって釈尊の前世の因縁を説く物語から「本当の優しさ」を知る。とりわけ、経文からは、羅列された文字を音訓読によって汲んだ時、何を思惟すべきであろうか。
それは、読む者自身が大いなる智慧と慈悲に目覚めたならば、お釈迦さまの優しさに触れられる。すなわち言葉には言い尽くせないやさしさに気がつく時なのである。

 雨も本降りになった。スピードは出せないもどかしさはあっても、誰も文句など言わない。先頭を行く私は、ずっと前の変わることのない景色が少しでも近くなってくることを期待しながら前に進む。マサルとツトム君がつづいて走る。「ちょっと早いよ!」「頑張ろうぜ!」声をかけあう二人。ケイコの弟とその友達がつづき、ショーちゃん、テッちゃんが最後尾を走っている。ケイコの友達の具合を気にしつつも、このハプニングに何か今まで感じたことにない意識が沸々と込み上げてくる。『何なんだろう、この大変な時に何を考えているんだ…』。

 時刻は午後5時をまわった頃。まだ日は落ちてはいないはずだが、空と地上は堺目がわからないほどの鈍色だ。海岸線は堤防の上をひたすら走っているので、どしゃ降りに近くなった雨を凌ぐような場所はない。ペダルを漕ぎ、雨ガッパを着た体は、汗とカッパの袖口から侵入してくる雨でグショグショ状態は、私だけではないはずだ。止まる合図を促した。
「堤防の下の防風林に入ろう」
みんな、一様にうなづく。松林の中に入ると、カッパを打ち続ける容赦ない雨音が止んだ。不思議なくらいの静寂。話すにも怒鳴り声でしか会話ができなかったことが嘘みたいだ。ツトム君が
「すごい雨になったね」
みんなもコックリとした。ケイコは
「どう、大丈夫」
弟の友達の額に手をあてて顔色を覗く。ケイコの弟が水筒の水をゴクゴクと飲む音が聞こえた。
「君も水分摂ったほうがいいよ」
ショーちゃんが言った。マサルが
「今日、帰りは遅くなるよね」
誰も後につづかない。弟の友達のリュックの中から水筒を捜していたケイコが
「ねえ、これなんだろう」
と言って取り出したのは、まだ見たこともない代物。弟が、それを見て言った。
「それ、時々口に当てているのを見たことがあるよ」
すると、弟の友達は
「キュウニュウキ…」
喘息の苦しさを緩和する吸入器。弟の友達は、小児ぜんそくを患っていたのだった。
「使わなくていいの」
私が尋ねると、思い出したかのように咳をし始めた。みんなも喘息くらいは大体どんな病気かは知っている。
「苦しいんだろ、使いなよ」
弟の友達は、吸入器に手を出して口にあてた。
私は、居てもたってもいられない気持ちに駆られた。そして、
「あのさあ、ちょっと電話ボックス捜してくるよ」
私が言った。ショーちゃんが
「僕も一緒に行くよ」
みんな、すがるような眼差しを返してきた。

 国道は、防風林からそれほど離れてはいないはず。車の往来する気配がある。我々のいる現在地が、おおよそどのあたりなのかの見当はつく。それよりも何よりも、親に電話口でどう切り出そうか今はそればかりを気に掛ける。国道には、すぐに出ることができた。この場合、右に行くか、左を選ぶか。ショーちゃんと顔を見合わせる。私は、右の沼津方面へ戻るよりも、進行先の左を見て指を示した。無論、ショーちゃんも大きくうなづく。車道は歩道もなく、車がすぐ隣をかすめて後ろから走ってくる。自転車には乗らずに、引いて歩く。しばらくすると、電話ボックスがあった。何か救われたような気になった。中には二人で入った。カッパを伝って雨粒が落ちる、瞬く間に水たまりができてしまう。
「カッパ脱ごうよ」
外の自転車にひっかけて中に戻る。途端に何ともいえない、涼しさを感じた。リュックの中から財布を取り出し、十円玉を数枚握り受話器を外す。十円玉を一枚だけ入れる。ツーという発信音が聞こえる。ダイヤルを回す。おそらく沼津から富士市には入っているはずだから市外局番はいらない。呼び出し音が聞こえている、それよりも自分の心臓の鼓動の方がよっぽど大きな音に聞こえてならない。5回、10回と呼んではいるが出ない。父も母も出かけている。そんなことはないはずだ。一度切って、またかける。やはり出ない。ショーちゃんが横で心配そうな顔で見ている。
「電話でないよ」
「じゃあ、俺んちにかけてみるよ」
ショーちゃんの家は、門前の石屋さん。ダイヤルをまわしてすぐに
「あっ、かあちゃん。ん、…うん、…わかった」
ショーちゃんが、受話器を私に差出した。

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受話器を耳にあてた。
「もしもし、どこにいるの」
まぎれもない母の声だった。
「お父さんが、ケイコちゃんのお母さんと、お友達のご両親とでそっちに向かっているからね」
『ええ、どうして…』
なぜ、母親は私たちがみんな一緒にいること。ケイコの弟の友達も一緒で、しかも今そっちに向かっているってどういうことなんだ。
私は、いま自分たちがいる場所を母親に伝えた。ショーちゃんには、みんなのところに戻ってこのことを伝えてくれと頼んだ。私は電話ボックスの外でカッパをはおって待つことにした。
                                                     つづく

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 「生き様」ということばは実に嘆かわしい。それは「死に様」という、これまた人の死を罵った語から派生した造語に過ぎないからだ。このことを理解すれば、人がこの世で生きていくこと、すなわち「人生」は、人の「一生」を言うのであるから、こんな気負った表現は甚だおかしい。

 ある高齢男性が、「あなたにとっての幸せは」という問いに「私が亡き後、孫たちやその後の者が手を合わせてくれること」と応えた。このことばには、私自身がこの世からいなくなっても、信仰を継承し、手を合わせることで先祖を受けとめてくれる。言い換えれば、この男性は生前中に明確な信心を持ち、家庭や社会においても信仰ある生活を送られたという裏付けあることに気がつく。人生とは、どのように生きるかを問う時に、いかに逝くかを考えることだろうと思う。正に臨終の事を習う大切さを考えたい。
                                                         ○日蓮宗新聞掲載予定(10月1号)

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 「木を見て森を見ず」という。主観的思考と客観的思考を比較すると、どちらが正しいとは一概に言えない。ただし、客観的に物事を観ることができる人は、世の中を上手に渡れる人ではないかと察する。
 翻って、仏教は「草木(そうもく)」に降り注ぐ「雨」を以って人々の本性を説き示す。ここで大切なのは、二つの観方。一つには、雨は地上の草や木、あるいはその大小にかかわらず平等に注がれる。もう一つは、受け取る側の草木自身による観方。草や木は成長に応じ、注がれた雨によって自らの力を発揮し花をつけ、実を宿すことを知っている。つまりは、自分自身の処し方を心得ているということになる。この譬えは仏の尊い教えは、すべてを分け隔てなく一様に潤される。しかも各々の成長を援けるためには、それぞれを個性を尊重し、その存在価値には区別があっても認める(受け容れる)ということを教えてくれる。
 今の時代、これを理解することによって主観的思考と客観的思考を自在に使い分ける術を識ることが大事。

 最近の話題に「忖度(そんたく)」という言葉が行き交った。「忖度」とは、相手の気持ちを推し量るということで、それ以上でもそれ以下でもないことである。しかし、この言葉を利用して物事を、しかも社会に関わる一大事を左右することなど到底ありえない事件が進行中である。
 方や、「斟酌(しんしゃく)」という言葉がある。意味は、相手の事情や心情を汲みとって時に手加減をしたり、言動を控えたりすること。「忖度」から一歩先に出た考えと行動のことであろう。しかしどちらも曖昧(あいまい)な内容として、捉えがたい状況に思えてならない。

 お釈迦さまは、遠い昔に人と社会(世の中)を見つめ、自らを人間の極致にさらして真実を感得された。こうして示された教えを仏法と呼ぶ。そして、この教えこそ、姿こそすでに見ることは叶わないが、これに触れた者はお釈迦さまの本当のやさしさに気がつき、人間として生きる本当の意味と力を頂戴するのである。しかも、この事実は三千年という実績を経て今日に至っているという動かし難い、尊い事実なのである。
 これを一口にいうならば、「思慮(しりょ)」であり、さらに平たくいうならば「慮る(おもんぱかる)」という言葉にいきつく。「慮る」とは、よくよく熟慮して謀(はかりごと)をめぐらすこと。つまりは、行き届いた計画のもと、あらゆる手段と工夫を凝らして善い方向へ導くとをいう。これこそ、お釈迦さまの教えに外ならない。

 防波堤を漕ぎつづけて、休憩を取りながらも午後2時には千本浜到着。まだ往路であるにもかかわらず小学生の我々は初めての遠出に満足をしている。幼心にも「夢は叶う」的な充足感であったと記憶する。天候は、まだこの時暖かな春の陽気だった。千本浜で、しばらく遊んでいると西の空の雲行きが怪しくなってきた。ツトム君が「向こうは雨が降ってるんじゃない…」「そうかもね」マサルやショーちゃんが言う。「じゃあ、そろそろ帰るか」。こうして帰路につくことになった。時刻は午後3時をまわった頃。ケイコが弟とその友達の面倒をみて、出発する。
 往路と同じ道を戻るだけだと自分に言い聞かせながらペダルを踏む。30分も走った頃、海から吹きつける風が気になったこれを時化(しけ)っていうのかななんてのんきなことを考えている。ペダルが重たい…。誰も口を開こうとしない。走りにくいことは確かなのだ。「ねえ、大丈夫かな」ケイコの声がした。「何が? 別に問題ないんじゃない」私は応えた、というより言い聞かせた。ケイコがまた「ちょっと!」と、声をかけてきた。みな自転車を止めた。先を急ぎたいが何かただならぬ気配を感じた。

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どうやら、ケイコの弟の友達の具合がよくない。顔色もすぐれない。「何だか熱もあるみたい」ケイコが言った。本人に聞くと、頑張ってはみるがスピードを出せない、ということを訴えた。リュックの中からナイロン製のパーカーを取り出して着させた。みんなで無理をせず様子を見ながら走ることにした。もちろん誰も文句など言わなかった。
 まだ、折り返したばかりで先は長い。時刻は午後4時になろうとしていた。日は長くなったとはいえ不安だった。こんな時に限って、嫌なことは重なるものだ。気にかけていた雨が落ちてきた。全員雨ガッパを着て再びペダルを踏んだ。テッちゃんが「大丈夫、気をつけていこうよ」一同うなづいた。ケイコの弟の友達を気遣いながらも8人が全員、お互いを励まし合った。雨は次第に強くなってきた。

つづく

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4月1日は、エイプリルフールで嘘をついてもかまわない日。「嘘も方便」とはいうものの、嘘は、あくまでも嘘であることに間違いはない。ただし世俗において仕方のない道理として認めざるを得ないこともある。
 仏法は、人を善い方向へ導くためには、その人に応じた適切な説法をする。それは、いろいろな因縁(身近な現実のはなし)や譬喩(たとえばなし)によって巧みに世の中を分析し、便宜的に仮にとる数えきれない手段。これこそ人々の心を励ますと同時に喜びさえ(言辞柔軟 悦可衆心)も与える。これをもって「方便の教え」とする。
 ある花が、自分の咲く時と場所をえらんでいた。お釈迦さまは「その美しさをもっと多くの人に見せてはどうか」と勧めた。「いえいえ、私はこの場所で十分に満足をしている」と言って聞き入れない。月日は流れ、自らの儚い(はかない)寿命を悟った花はもっと長く咲くことができないかお釈迦さまを頼った。すると国中のいたるところ、平地はもちろん山間部や石積みの狭いところからも花を咲かせるようになったという。
 嘘はいけないと子供でも知っている。不正の多い世の中を正そうと、お釈迦さまはあらゆる手法で巧みに私たちに語る。経を読む私たちは、これに触れて気がついたならば心から嬉しく思える生き方をしたい。

 まだ朝夕は肌寒い季節。6年に進級する春休みの出来事。
マサル、ケイコ、ショーちゃん、ツトム君とテッちゃん。誰が言い出しっぺか忘れたが(恐らく私だと思う)、「自転車に乗って旅に出よう! そうサイクリングだ!」みんな目を輝かせて、決行するその日を指折り数えた。当時、町の本屋にでかけると一日中立ち読みに時間を忘れた。めくるページに沢山の夢を馳せた。「そうだ、大人になったら…」。趣味のコーナー『サイクリング』という月刊誌に目がとまる「これだ! これしかない」。

 決行の前夜は、なかなか寝つけなかった。放課後、六人組は毎日のように集まっては念入りに計画を練った。親には、自転車で出かけるが゛何処へ゛は伝えないという約束をした。この約束をするだけでも、子どもながらにも大きなことへの挑戦的なゾクゾクするような感覚を覚えた。後ろめたさというより、冒険心の方が勝ったのだった。たまたま、行き交った4年生の二人組を誘った。一人はケイコの弟。二人ともサイクリングという夢のような言葉に便乗したことは言うまでもない。

 朝6時集合。誰一人遅れることなく出発ができた。行先は沼津「千本浜」。どうして沼津なのか。母の実家が沼津にあった。千本浜に近いこともありよくでかけたこと。平坦な道路状況。日帰りができて、それでいて小学生にはサイクリング感が充分に満喫できる距離だから。さらに走るコース、これがベストなのだ。市内の港から海岸線すなわち防波堤を走れば迷うことなく目的地に着く。私は、このことを自信たっぷりに仲間に語った。他の誰も沼津に出かけたことはあっても親と一緒。「千本浜」には行ったことがなかったことが余計に冒険心を煽ったことは間違いない。さらに母の実家がそこにあることが心強かった。

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 全行程距離は約30㎞として往復60㎞。体力的には、まず問題はないと踏んだ。天候も良好。幸先の良いスタートだった。ただ、天気予報によると日中は晴れ、午後から雲が広がり夜は雨になるということだった。休憩を入れながらも順調に漕げば十分夕方には、いつも通りの帰宅となる。
 田子の浦港を抜けて鈴川、潮の匂いがする。防波堤の道路に出る。ここからは、迷うことなく沼津市へ入る。信号もない。当然車は通行ができないから小学生でも安心。午前9時、途中休憩をとった。暖かい上に、ペダルを踏んでいるので汗もかく。砂浜に降りて波打ち際で遊ぶ。こんなに楽しいのはみんなはじめてのように無邪気に時間をやり過ごす。少々早いが昼飯にした。それぞれ母親手製のむすびである。2個3個をたいらげて一路目的地を目指した。
つづく

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日蓮宗新聞の今月の掲示板(聖語:日蓮聖人のことば)である。
「おじさん、人間はなんのために生きてるの?」
「むずかしいこと聞くなあ…。あぁ生まれてきてよかったなあって思うことが何べんかあるんじゃない。そのために生きてんじゃねぇか…」
「ふ~ん」
「そのうち、お前にもそう言う時が来るよ。まぁ、がんばれ」
察しのいいかたは、すでにおわかりであろう、ご存知「寅さん」こと車寅次郎、第39話「男はつらいよ 寅次郎物語」最終場面、寅と甥っ子満男の会話である。
 仏教はなんのためにあるかに、匹敵する難解と察する。法華はもちろんのこと、禅も心経も
「生きる意味を考えるよりも、生きることに感謝して生きること」の教えである。

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 昭和30年代から40年代、時代は高度経済成長期と相俟って、暮らし向き、つまり生活に豊かさを求める世の中に突入していく。この頃はまだ「家電」という言葉は日常に浸透してはいなかったはずだ。電化製品三種の神器と謳われたテレビ、洗濯機、冷蔵庫。テレビはまだ白黒だった。これらが、一つ一つ揃う過程に家族一同は幸せを感じた。「〇〇さんち、冷蔵庫買ったんだって! なんでも氷もできるんだって。ほんとかな~」隣近所、ひいては町内の話題にまでのぼる。生活に豊かさや潤いを来すものを求めるようになったということは、国民に少しく余裕が出てきたということだ。このすぐあとを追って「みんなが中流家庭」という意識が定着する。それは、まだ先のこととして、はなしを戻す。子供の間にもいわゆる流行り物が次々に出てくるのもこの頃からだ。
 遊びの行動半径も当然広がる。体力と好奇心旺盛な小学校高学年期には、自分の、自家用の自転車が持てた。誰でも、すぐに持てたかというと、そんなに簡単ではなかったはずだ。親に懇願して、何かの褒美に、あるいは記念にと恐らく親も両親が考え抜いた結果が、とてつもなく嬉しかったりした。当時、少年のあこがれだったのが電子フラッシャー付自転車、変則シフトレバー付、スピードメーター付等という余計が魅力だった。電子フラッシャーとは、方向指示器のランプが流れるように点滅するやつだ。そんなマイカーで遠出を試みる。私は、平凡な自転車、確か母親と兼用の黒い買い物かご付の便利なものだった。イカシタ自転車には、さほど興味がなかったことは覚えている。ただ、毎週、少しずつ距離を伸ばすことには熱中した。そんな思いが親にも伝わったらしく6年の時に、26インチの10段変速ギア―の自転車を買ってもらった。嬉しかった、毎日磨いた。もちろん走った。下校後、帰宅して早速ペダルを駆って出かけた。その頃、自転車に乗って行動するには一人で満喫することが唯一の楽しみであった。

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 「世尊指地(せそんしち)」という禅のことばがある。お釈迦さまが、春うららかなある日お弟子たちと移動中、突然「ここいいね!」と言って指でしめした。弟子の一人が一本の野花をそこに挿して「お堂が建ちました」と言った。お釈迦さまはニッコリ笑った。
 何処にいようとも、何をしていようが、また誰であろうが、私たちは『今ここ!』にしかいないのである。我が人生の建立はここでする以外にないのだ。いつか、どこかへ、とよそ見をするな。どの一刻も「今」でない時はない。「ここ」でない場所はない。食事をしている「今、ここ」もある。お手洗いで用をたしている「今、ここ」もある。喧嘩をしたり、愚痴をこぼしたりの「今、ここ」もあろう。どの一瞬も、一度去れば再び帰ってこない、つまりやりなおしのきかない、しかも誰にも代わってもらえない私の生命の歩みなのである。
 
この中にみな塔を起(た)てて供養すべし。ゆえはいかん。正に知るべし、この処はすなわちこれ道場なり『法華経』
 人生には喜びの日も悲しみの日も、逃げ出したい日もあろう。逃げずに追わずにぐずらず、のぼせあがらず、おちこまず、いかなる「今、ここ」に対しても姿勢をくずさず、前向きに取り組むことができたとき、そこに塔が建ったといえるのである。寺とか塔といっても、いわゆる寺でも塔でもなく、置かれた場所でなすべきことを成し得たとき、野っ原であろうとそこで道が行ぜられたとき、そこに大殿堂が建ち塔を建てて供養したといえるのである。

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 仲良し五人組を紹介する。雑貨屋のマサル、花屋のケイコに石屋のショーちゃんとサラリーマン家庭のツトム君に葬儀屋のテッちゃん、そして寺の倅の私である。そのほかにも、仲良しは大勢いたが学校が引けて、なんとなく集まるのがこの五人ということだ。したがって親たちも自然に子供を通じて行き来がある。通学区には、小さいながらも商店街から、団地もあり、農家や町工場もあるという、そんな町を形成している。だから子どもにとっても、放課後の楽しみは多かったように記憶している。
 寺と石屋は隣同士。当然雑貨屋と花屋そして葬儀屋は商店街にあった。店が並んだ商店街を「街(まち)」と呼んだ。「今日は町に行くよ」これは今でも変わらない。昔のような活気が無くても、商いをやめてしまったシャッター商店街であっても、我々はその場所を「街」と呼ぶことに変わりはない。某ショッピングモールが町のあっちこっちに二つ三つできて賑わいを見せても、そこを決して「街」とは呼ばないのである。そんな町で生まれ育った我々は、何をするのもいつも一緒だったと思う。家族と過ごす時間より仲間と一緒にいたほうが多かっただろう。ちなみに、私のことをみんなは「ぼうさん」と呼んだ。嫌ではなかった。                   つづく


※おことわり  文章中に当時の時代背景から、今では不適切と思われる言葉がありますがご容赦下さい

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 まず、「生死一如(しょうじいちにょ)」というが、これは我々は生きて必ず死んで逝くことをいう。しかも一如であるから、生と死は二つのように見えるが実は分けようのない一つの事柄であることを示す。
 翻って表題の「ににとふに」という何やら可愛らしいひびきだが、「而二(にに)」と「不二(ふに)」と書く。而二は、一つのものを二つの面から窺い知ること。不二とは、二つの面があっても、それは本来一つであることをいう。
 NHK朝の連ドラ「べっぴんさん」を観ている。主人公すみれと御主人紀夫は、家庭と商いを巡って時にすれ違い、涙と喜びを共にする。一つの夫婦の在り方をとってみても、人生と生活を上手くやりくりできることは安易なようで、実は難しい。ドラマには登場しないが、おそらくこの夫婦には共通の信仰心があるにちがいない。「仏法は体のごとし 世間は影のごとし 身体曲がれば影ななめなり」信心が曲がれば、世間である生活自体も同じく曲がっていくとはこのことである。

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 久しぶりに町を歩いた。日中の穏やかな日差しを浴びて身体も喜んでいるようだ。昨日が日曜ということもあってか人通りも少ない。昔も今も眼に映る景色は随分変わっただろうが、富士宮も富士も吉原も商店街と聞くと心が躍るのは私だけではないと思う。

 洋品屋、乾物屋、肉屋に魚屋、薬屋に布団屋に駄菓子屋もあった。まだある、食堂に喫茶店そして米屋に花屋、極めつけは石屋、葬儀屋もある。それぞれを廻って買い物を済ませた。昭和30年、40年代はバスで町へ出かけ、とにかく歩いた。母は私と妹の手を引いて昼前には出かけて、昼食は決まって行きつけがあった(ラーメン屋かお好み焼き)。帰宅はたいがい夕方になる。この日の夜は早く休んだものだ。
 
 商店街には、同級生の家もあった。私は寺の倅、彼らも商いをしている所の倅たちだから土曜日曜は家にジッとしていられない。居場所がなかったのかもしれない。自転車で少し遠くまで足を延ばして遊んだ。小遣い銭もあまり持たなかったから、それぞれ家から持ち寄ったものを分けあった。遊びながらも話も沢山した。家の商売の話もした。家族の話もする。仲間はよその家のことも普通によく知っていたものだ。           つづく                               

※おことわり  文章中に当時の時代背景から、今では不適切と思われる言葉がありますがご容赦下さい

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 本年お会式の「お逮夜」に、三遊亭神楽師匠に『芝浜 ~法華ばーじょん~』をかけていただいた。今年は秋が短く、11月3日も例年に比べ晩は幾分冷えた。この時節には、もってこいの噺で、しかも前から温めておいた、小生オリジナルな芝浜の法華バージョンを無理にお願いしてやっていただいた。

 江戸のと或る長屋に、魚の振り売りをしている勝五郎という男とその女房。この女房今日も、まだ夜が明けぬうちから位牌に向かってお題目をあげている。と、こういうシーンから始まる。大映なんかの映画のよくある風景だ。早朝だから団扇太鼓の音までは聞こえてはこないが…。
 勝五郎は、ここ二十日ばかり仕事に行かなくなった。寝ている亭主を強引に起こして仕事に出す。久しぶり、河岸に向かう中、池上(本門寺)の鐘の音を聞く。「野郎、一つ間違えて起こしやがったな! 野別に題目ばかり唱えているからこういうことになるんじゃねえか、いまいましい。」
 勝五郎は、浜へ出て夜が明けるのを待つ。革の財布を拾って家に戻る。「拾ったものは俺の物、明日っから呑むぞ~」夕べの飲み残しを仰いで寝てしまう。昼近くに起きだすと、湯へいって友達を四、五人連れてきて飲めや、食えの大騒ぎ。自分もいい心持になって高いびき。そんな亭主に涙をぬぐいながら震える手をこすり合わせて、声にならないお題目をあげる女房だった。
 亭主が寝ている隙に、大屋に相談をして、浜であったことはぜんぶ夢にする。やがて勝五郎が起きる。「普段から飲んだくれて、金が欲しい、金が欲しい、そんなことばかり考えているから馬鹿馬鹿しい夢見るんだよ」。どうもこうもない。「今度ばかりは悪かった。今から酒やめて、これから真面目に働くよ。」

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 この日からがらっと了見が変わる。いくら人から言われても自分が気がつかないうちはどうにもならない。自分から、こうと決めた日にはこんな強いことはない。この日を境に、勝五郎は変わっていく。もともと目は利き、腕は良かった。夜が明けないうちから眼を覚ます。出掛けに夫婦そろって手を合わせお題目を三辺唱える。
 三年が過ぎた、大晦日の晩。夫婦して正月を迎えられる喜び。何よりも、どん底から這い上がり裏通りの棒手振りが、小さいながらも表通りに一軒店を出すほどになっている。女房が御灯明に火をつける。夫婦で語る。女房が言う。「苦しかったあの頃のこと考えると夢みたい。」勝五郎「ああ、ありがたいなあ。考えてみると、愚痴出る時はだいたい怠けてる時だ。稼いでいるのが一番いいや。おまえは、いつも苦しい時お題目を唱えてたなあ。怠けている時に聞くと穏やかじゃなかったが、今じゃそれもわかる。お陰さまだよなあ。」
 こうして、お決まりの件。女房が三年前の始終を打ち明ける。そして女房は「今のあんたなら、もう大丈夫だ。心から手合わせてお題目も唱えてくれるもの。間違いない。」

 日蓮聖人は「ただ女房と酒うち飲みて、南無妙法蓮華経と唱え給へ。苦をば苦と悟り、楽をば楽とひらき、苦楽ともに南無妙法蓮華経とうち唱えさせ給へ。これ、あに自受法楽にあらずや。いよいよの強盛の信力をいたし給へ。(四條金吾殿御返事)」
夫婦共に生きるということは、単に寄り添うだけに非ず。共に共通の信仰心を持つこと。正に夫婦で経行の喜びを分かつことこそ益々強い信仰心を仰ぐものである。夫婦の会話は大切、共通の信仰はもっと大切。
 

何気なく使うことばにどれだけ気を遣っているか…。職業柄、言葉は選んでいるつもりだがまだまだ十分でない気がする。

文学博士で英文学者であり、また言語論や教育論と幅の広い研究をされている外山滋比古先生が、確か『日本語の作法』で仰ったが日本語のセンスについて話されていたと思う。いい大人が平気で間違った日本語を話している、これは日本語のセンスがないから。日本語のセンスとは話し言葉の中で体得されるもので、これが充分でないのは満足なことばを聞いてこなかったからということだったと記憶する。

お釈迦さまの教えを聞く私たちは、聞く耳をもってすれば何とも有難く受け取れる。だが、よく聞いてはいないのかな…。聞く耳とは、よく話すことに慣れること。つまりお経をもっと、もっと読むことでしょう。

受っ取ったら心に落とす
やさしいけれどむずかしい?!
読了!
参考書
本日の富士山
11月2日早朝

この月は宗祖お会式月で多忙な日々を送ることとなる。お会式は「今日ここで宗祖に面奉し、お題目で生活できることへの感謝を申し上げる。」ことが目的とされるが、最近知ったことに「恩送り」という江戸時代に普通に民衆がしていた行動に注目したい。これは、ハリウッド映画『pay forward可能な王国』にまで反映される。善意を他人に廻すという、正に「恩送り」そのものである。

翻って、私たちが「恩に報う」といい、心がけている行動はなかなか難しい。普段から習慣化された認識でないから余計なのだ。だから一年に一度は、心から恩義に対しての感謝を示す日を設けてみたりと苦心する。しかし、言われてしていた行為もやがては、そのことの大切さに気づければ良しとする。

「恩送り」は、受けた恩を返すのではなく、まったく他人に、それも一人でなくとも複数にして差し上げるところが、これの凄いところだと思われる。しかもこの運動(恩送りが始まった場合には、もはや運動として)が、伝播していくことである。いわゆる正の連鎖が大きく世の中を変えていくという民衆行動になる。




久しぶりに見ました
七色に輝く…
しんみりと聞かせていただきました
お会式逮夜企画
寒かったなあ~
お逮夜

お経は「読む・訓む・上げる・受ける・いただく」さまざまな受け取り方ができる。お経とは私たちの口を介して声に出てくるお釈迦さまのお説法のことをいう。

お釈迦さまがいらっしゃった遠い昔、文字がまだ十分でなかった頃人々は一言も洩らすまいとお説法を真剣に聞いた。お釈迦さま亡き後、人々はお釈迦さまが説いた教えや行いを文章にまとめて残すことを考えた。これが「お経」である。

私たちが声に出して発するお経文は、実はそのまま私自身の耳に届いている。ならば、私たちは知らず知らずのうちにお釈迦さまの教えを、今ここで再現(聞いていること)していることとなる。

「お経を読む」というが、正しくは「聞いている」のであり、さらに、お経は「いただくもの」ということになろう。


 

おっ月さん
よく見て!
知ってました?
火灯窓
いいね!
今日の富士山

私たちは見えないものに支えられ、そして脅かされてもいる。

東日本大震災につづいて今年は熊本大分の大地震からもつきつけられた現実は痛烈である。想定外ということが起きると騒ぎ出す。

勝手気ままに世の中を左右し、私たちに都合の良いことだけを集めては、これを現実と見做す。
お釈迦さまは「私たちの心が顛倒(ひっくり返る)していては、傍に仏さまが控えているにもかかわらず気がつかない」と仰る。

辛いこと、悲しいことばかりの娑婆を選んで生まれてきた私たちなのだから、今こそ踏ん張る時なのかもしれない。

今さらながらに自我に埋もれた本当の自分自身の姿に気がついた時、あらためて人々への思いやりや苦しみを共に解決していこうという決意までも湧いてくることを教えてくれるのは仏教にほかならない。

県指定記念物だそうだ
この先ずっと…
管理は行き届いていました!
村山浅間神社
いいでしょッ
今日の富士山  
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