今月のおしえ 静岡県富士宮市 | 日蓮宗 妙境山 圓恵寺

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今月のおしえ

今月のおしえ

到彼岸

2020.9.19

「到彼岸とうひがん」と書いて、その語源はサンスクリット語の「パーラミター」に由来する。これを漢訳語に表せば「波羅蜜多はらみった」というわけです。

日本古来で独特の風習? 日常生活すなわち信仰生活に準拠した日本人の心の在り方がここにもうかがい知れる。尊い習慣なのです。

「到彼岸」とは、迷いのこちら(此岸しがん)から、悟りのむこう(彼岸ひがん)に渡るということで、そのために六つの修行徳目が設定されているのです。今日は彼岸の入りです。今日から七日間。一日一つ、六日で六つを攻略して七日に向こう岸、悟りの境地に至るわけなのです。本日から一つずつ念頭に、このことを念じつつできるかぎり「そのような心持ち」に近づけるよう心がけて過ごしましょう。

六波羅蜜 お彼岸7日間で克服したい六つのこと

布施(ふせ)     人にやさしく

持戒(じかい)    自分にきびしく

忍辱(にんにく)   がまんする

精進(しょうじん)  なまけない

禅定(ぜんじょう)  いつもおなじ気持ちでいれば

智慧(ちえ)      これからも強く生きることができるようになる

 

 近所で評判の婆さんがいた。「こらあー!」今日も村の子供たちを叱っては恐がられ、奥さん連中にはもっぱら手厳しい。

齢90歳になろうが百姓も現役だ。いつも小声で何かつぶやきながら鍬をふるう。「生きているうちは、働かなきゃバチがあたる」が口癖。

 婆さんが亡くなった。葬式は大勢の人が参列した。村中の子どもたちや嫁さん連中も涙のお別れをする。遺影の婆さんは笑っていた。参列者は口々に「いい人だった」「子供たちが好きで優しかった」「みんな世話になった」婆さんは、村のみんなに慕われていたのだった。

 通夜の最後に長男が挨拶をした「母はこの地が好きで、村の人たちが好きでした。畑に出ている時はロッパラミツ、フセ、ジカイ、ニンニク…ナンミョ-ホ-レンゲ-キョ-」とお寺で教わったことをいつも口にしていました。

 婆さんは六波羅蜜を一生かけて見事に貫いたのだった!

コロナ禍中、9月は敬老と彼岸が尊いなあ!

お盆 コロナ禍を越えて

2020 8月

身延山朝のお説教1

 正式には「盂蘭盆うらぼん」といいます。インドのことばで、ullanbanaウランバ-ナ、意味は「倒懸とうけん」逆さに吊るされた苦しみということです。私たちが、一年に一度ご先祖を迎えてする習慣ですが、今年は特別なお盆になりそうです。  というのも、そもそもお盆は多くの霊に供養することです。多くの霊とは、自分の家のご先祖だけではない、九州や東北地方の集中豪雨で失われた尊い「いのち」、コロナ禍で家族にも看取られず亡くなった人たち、もう少し前には東日本大震災や原発で亡くなった多くの「いのち」です。さらには、被災されたった一人きりになってしまった方、つまり苦しんで生きていかねばならない人たち(生者の魂魄(せいじゃのこんぱくと私はお呼びします)のことも含めて、13日から16日までの4日間、回向を捧げるわけなのです。

身延山朝のお説教2

 コロナ禍によって、私たちの生活様式は大きく変えていかなければならないようです。コロナウイルスは以前から、この地球上に存在はしていたようですが某国のあまりにも無謀な人々の振る舞いによって「新型コロナウイルス COVID-19」が発生してしまったのでした。

 今、日本はコロナ禍第2波を迎えています。都内では1日470人を超える感染者を数えます。今後、このような悪循環を私たちは阻止できることが果たして可能でしょうか…。

 「世皆正に背き、人悉く悪に帰す。故に善神国を捨てて相去り、聖人所を辞して還らず。これを以て魔来たり鬼来たり、禍起こり難来る。

宗祖日蓮聖人のことばです。

世の中が正しい教えに背いて、人々もみんな悪法に傾いてしまっているから、諸々の善神は、この世から去ってしまい、聖人と云われる救世主ももやは此処には帰って来ないでしょう! だから世界は悪鬼魔人鬼人(目には見えない怖ろしい現象)が押し寄せて、世界中は多くの災難が起こるようになってしまう。と、仰せになられたのでした。

 それでは、正しい教えとは何でしょう。悪法とは一体何を言うのでしょう。 このコロナウイルス感染拡大という中で、私たちが「今」本当にしなくてならないことは何かを問いただす時だと拝察します。そこで、正しい教えとは何か「世の中の人々の正しい考えと行動」です。当たり前のようで、実はこれが難しいから社会も人々も混乱をしているのでしょう。日蓮という人は、750年もの前に、社会と為政者(幕府)に対してこれを進言したのでした。

つづく

                               ※写真はイメージです。今は3密厳禁ですからとてもとても…。

地元    ~勘考それぞれに~

連載(10)

 私は高校1年生の夏休みに僧侶になるための1歩を踏み出した。「得度(とくど)」という儀礼を父親がしてくれた。この時より、父親は私にとっては「師匠」と呼ばれる存在となる。というよりは、私が父親の弟子になったという言い方が正しい。

 この儀礼は、俗にいう出家(しゅっけ)ということで、本来の仏門を目指す者の通過点のことをいう。ある日曜日のこと。朝から檀家の人たちや、お坊さんが集まってきた。親戚の叔父や叔母、従兄たちも来た。「得度式」という法要に参列するためだった。両親と並んで本堂に座り法要は始まった。

 私は、はじめ学生服を着ていたが、法要の冒頭で剃刀を頭に当てられ、白い着物に着替え改めて本堂に座った。数珠(じゅず)を与えられ、両親の前に額ずき何やら今日のこの日のために覚えた言葉をぎこちない合掌のポーズで口にする。

「三界の中に流転し、恩愛断ずるこ能わず、恩を棄て無為に入るは、真実の報恩なり」という文言である。この日を境に、育てていただいた恩を感じつつも、それを振り払って仏門に入る決心をしたので、何卒お許しください。人は生まれて死んでゆく無常の世の中をさまよう愚かな存在ではあるが、今日こうして出家することが何よりもの真実の報恩であると確信しております。どうぞご安心ください。と、このような内容をことばにしたのであった。

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