宗教法人圓恵寺

2018年 今月のおしえ

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2018年 今月のおしえ

ことばは動く

2018.7月

 道徳や常識は、その時代ものもの。したがって時代が変われば、その意味も違ってくる。転じて、伝達のツールである「ことば」も過去の使い勝手が変わって活用されることがままある。「噛んで含める」とは、言い聞かせて理解させるという慣用句である。二つの語を繋いで意義深い内容になっている。
 これが今や「噛んで含むように」すなわち自分自身で噛みしめるという、自らに言い聞かせる意味に変わった。学校や社会では、現在普通に使われる。いわゆる「誤用」なのだが仕方がない。世間の力には及べない。これも時代の流れ逆らえない許容範囲なのかもしれない。
 仏法は、「言辞柔軟にして衆の心を悦可せしむ」手間はかかるけれど良いことは、まだまだたくさんあるのだ。

鎮魂 -生者にすべきこと…

2018.3月

 7年前の3月11日を明日に控える。無論東日本大震災のその時をいう。私たちは、このことにどれだけの意識を傾けることができるか…甚だ遺憾と察する。今もボランティアで、現地の方々と交流を続けている人を知っている。彼は「7年前から、終わりのない行動となった」という。それは彼の意識であって、ボランティアを率先して行う方々とは、また違ったモチベーションだと思う。だから熊本や広島にも、早速に駆けつけられる姿勢とは異なる。
 彼いわく「多くの死者は葬ることができた。しかし生者、生きていかなければならない人たちの魂を鎮めることは難しい…だから、こうして時間がかかるのだ。まだまだ終れない」
そもそも仏法は、世知辛いこの世を生きるわたしたちのために、釈尊が示した教えなのだから、私たち僧職は本来のすべきことを伝えていかねばならないと言い聞かせる。

おかあさん、おいしいよ

2018.2月

 「おかあさん、おいしいよ!」って聞こえてきそうな絵である。子どもに食事を与えているのはおかあさん。おかあさんに「おいしいよ」という子ども。おいしいよは、いつの日にか「ありがとう」に変わっていくのは、この親子には自然のこととなる。つまり、「おいしいよ」と言える子は母親が自分のために、あるいは家族のためにおいしい食事を作ってくれることを知って(見て)いるからなのだ。
 こういう親子は、おそらく食前に「いただきます」を言える親子だと思う。というのは、母親は当たり前に食事を作るだけではなく、食事となる野菜やお米、パンかもしれない。そのものにはすべて尊い「いのち」があり、それらの命をありがたく「いただく」ということを教えられる。そうすることによって、あらゆる「いのち」をいただくことは、その「いのち」に生かされていることを子どもは知るということなのだ。
 あたりまえかもしれないけれど、この当たり前がそうでなくなってきているから注意を引きたいのである。

これが戦争の結末だ!

2018.特別

 国際連合が定めた「国際平和デー」は9月21日とされる。一方、バチカンのローマカトリック教会では1月1日を「国際平和の日」として、今年は第51回を数える。
 この日、フランシスコ法王は恒例のメッセージの中で核廃絶を訴えた。世界の諸団体が同じことを唱える中で、法王が示した一枚の写真が話題となっている。長崎に原爆が投下された後、火葬場で亡くなった弟を背負い、直立不動で火葬の順番を待つ少年。この写真に法王が「これが戦争の結末」ということばを添えて配布しているそうだが…。確かに、インパクトが大きいだけに、核の恐ろしさや被爆国に目を向ける入口になってくれることを祈って止まない。それには十分すぎる一枚と言えよう。
 私はこの一枚から見て取れる平和の形は、見る者の創造として捉えることを勧めたい。なぜならば、戦争体験者と戦争を知らない世代、被爆国とそうでない国々がある。したがって受けとめ方にも違いが生じるのは避けられない。人はそれぞれに違った見方ができることは決して悪いことではないと思う。

地元 ~成長~

連載 (9)

 昭和40年代から50年代になると、日本は表面上何にも安定した時代へ入って行った。昭和30年代は戦後の復興から試行錯誤を繰り返して、より良い暮らしを求めた時代。そんな時代の移行を子どもながらにも眺めてきた。だから我々の成長は著しい勢いのようなものを肌で感じつつ、それぞれが大なり小なり夢を抱いた。6人組の成長も、正にその通りであったと思う。
 ツトム君とテッちゃんとは学校も一緒だったこともあり、高校3年間の動向はよくわかっていた。ショーちゃんは寺の門前だったが、野球少年だった彼は高校でも毎日白球を追っていた。ケイコは日曜日となると寺に花を届けてくれたので顔を合わせることはあった。マサルも日曜日ともなると、決まって午後から寺(家)にやってきた。私はというと、日曜日は専ら寺の手伝いというより、僧侶の手習いだった。
 盆と正月は必ず6人で一年を振り返り、そして迎える年にあれこれと想いを馳せた。幼少期からつづいている慣わしならわしでもあった。あたり前に交わす、このことはいつも寺に寄せるのも当然のこととなっていた。これは、高校になっても変わらず、その後もしばらくは続いていくのであった。

つづく

意志を継ぐ者

2018.1月

 『女城主 直虎』が終わった…。最終回は「を継ぐ者」。タイムリーに見ることはできなかったが、年明けてようやく見ることができた。

 さて、14と90っておわかりか?
棋士藤井颯太4段14歳と加古里子かこさとし童話作家90歳のことだ。この隔たりって凄いことだと。比べようがないようだが、私は深い縁を感じてならない。
 直虎の最終回で、劇中の直政の台詞「百尺竿頭一歩を進む 大死一番絶後再び蘇るひゃくしゃくかんとういっぽをすすむ だいしいちばんぜつごふたたびよみがえる」、これは南渓和尚も依然ドラマの中で窮地に立った直虎に発した禅のことばだ。意味は長い多くの苦しみを味わいながらも、人間はまだあえてその先を進もうとする。一つの死にも、多くの死にも決して無駄にしてはならない、たとえ時間がかかろうとも必ずや報われる(蘇る時)時が来るのである。

 藤井4段は数多あまたの棋士がいる中で、若年であるが故に注目をされている。「てんぐちゃん だるまちゃん」作者である加古里子は90歳にして新作を3本世に送った。生涯現役でいることの思議。年齢ではない、その人でもない、ましてや人道生き方ともちがう。藤井颯太の意志、加古里子の意志という魂はここに在って無性むしょう(形や場所が定まらないこと)であるという仏法の奥義がここにあるだけだ。いわゆる「意志を継ぐ者」とはこれ如何に…。
 

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