宗教法人圓恵寺

2016年 今月のおしえ

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2016年 今月のおしえ

地元 ~昭和~

連載 (1)

 久しぶりに町を歩いた。日中の穏やかな日差しを浴びて身体も喜んでいるようだ。昨日が日曜ということもあってか人通りも少ない。昔も今も眼に映る景色は随分変わっただろうが、富士宮も富士も吉原も商店街と聞くと心が躍るのは私だけではないと思う。

 洋品屋、乾物屋、肉屋に魚屋、薬屋に布団屋に駄菓子屋もあった。まだある、食堂に喫茶店そして米屋に花屋、極めつけは石屋、葬儀屋もある。それぞれを廻って買い物を済ませた。昭和30年、40年代はバスで町へ出かけ、とにかく歩いた。母は私と妹の手を引いて昼前には出かけて、昼食は決まって行きつけがあった(ラーメン屋かお好み焼き)。帰宅はたいがい夕方になる。この日の夜は早く休んだものだ。
 
 商店街には、同級生の家もあった。私は寺の倅、彼らも商いをしている所の倅たちだから土曜日曜は家にジッとしていられない。居場所がなかったのかもしれない。自転車で少し遠くまで足を延ばして遊んだ。小遣い銭もあまり持たなかったから、それぞれ家から持ち寄ったものを分けあった。遊びながらも話も沢山した。家の商売の話もした。家族の話もする。仲間はよその家のことも普通によく知っていたものだ。           つづく                               

※おことわり  文章中に当時の時代背景から、今では不適切と思われる言葉がありますがご容赦下さい

芝浜 ~法華ばーじょん~

2016.12月

 本年お会式の「お逮夜」に、三遊亭神楽師匠に『芝浜 ~法華ばーじょん~』をかけていただいた。今年は秋が短く、11月3日も例年に比べ晩は幾分冷えた。この時節には、もってこいの噺で、しかも前から温めておいた、小生オリジナルな芝浜の法華バージョンを無理にお願いしてやっていただいた。

 江戸のと或る長屋に、魚の振り売りをしている勝五郎という男とその女房。この女房今日も、まだ夜が明けぬうちから位牌に向かってお題目をあげている。と、こういうシーンから始まる。大映なんかの映画のよくある風景だ。早朝だから団扇太鼓の音までは聞こえてはこないが…。
 勝五郎は、ここ二十日ばかり仕事に行かなくなった。寝ている亭主を強引に起こして仕事に出す。久しぶり、河岸に向かう中、池上(本門寺)の鐘の音を聞く。「野郎、一つ間違えて起こしやがったな! 野別に題目ばかり唱えているからこういうことになるんじゃねえか、いまいましい。」
 勝五郎は、浜へ出て夜が明けるのを待つ。革の財布を拾って家に戻る。「拾ったものは俺の物、明日っから呑むぞ~」夕べの飲み残しを仰いで寝てしまう。昼近くに起きだすと、湯へいって友達を四、五人連れてきて飲めや、食えの大騒ぎ。自分もいい心持になって高いびき。そんな亭主に涙をぬぐいながら震える手をこすり合わせて、声にならないお題目をあげる女房だった。
 亭主が寝ている隙に、大屋に相談をして、浜であったことはぜんぶ夢にする。やがて勝五郎が起きる。「普段から飲んだくれて、金が欲しい、金が欲しい、そんなことばかり考えているから馬鹿馬鹿しい夢見るんだよ」。どうもこうもない。「今度ばかりは悪かった。今から酒やめて、これから真面目に働くよ。」

 この日からがらっと了見が変わる。いくら人から言われても自分が気がつかないうちはどうにもならない。自分から、こうと決めた日にはこんな強いことはない。この日を境に、勝五郎は変わっていく。もともと目は利き、腕は良かった。夜が明けないうちから眼を覚ます。出掛けに夫婦そろって手を合わせお題目を三辺唱える。
 三年が過ぎた、大晦日の晩。夫婦して正月を迎えられる喜び。何よりも、どん底から這い上がり裏通りの棒手振りが、小さいながらも表通りに一軒店を出すほどになっている。女房が御灯明に火をつける。夫婦で語る。女房が言う。「苦しかったあの頃のこと考えると夢みたい。」勝五郎「ああ、ありがたいなあ。考えてみると、愚痴出る時はだいたい怠けてる時だ。稼いでいるのが一番いいや。おまえは、いつも苦しい時お題目を唱えてたなあ。怠けている時に聞くと穏やかじゃなかったが、今じゃそれもわかる。お陰さまだよなあ。」
 こうして、お決まりの件。女房が三年前の始終を打ち明ける。そして女房は「今のあんたなら、もう大丈夫だ。心から手合わせてお題目も唱えてくれるもの。間違いない。」

 日蓮聖人は「ただ女房と酒うち飲みて、南無妙法蓮華経と唱え給へ。苦をば苦と悟り、楽をば楽とひらき、苦楽ともに南無妙法蓮華経とうち唱えさせ給へ。これ、あに自受法楽にあらずや。いよいよの強盛の信力をいたし給へ。(四條金吾殿御返事)」
夫婦共に生きるということは、単に寄り添うだけに非ず。共に共通の信仰心を持つこと。正に夫婦で経行の喜びを分かつことこそ益々強い信仰心を仰ぐものである。夫婦の会話は大切、共通の信仰はもっと大切。
 

ことばは動く

2016.12月

 何気なく使うことばにどれだけ気を遣っているか…。職業柄、言葉は選んでいるつもりだがまだまだ十分でない気がする。

文学博士で英文学者であり、また言語論や教育論と幅の広い研究をされている外山滋比古先生が、確か『日本語の作法』で仰ったが日本語のセンスについて話されていたと思う。いい大人が平気で間違った日本語を話している、これは日本語のセンスがないから。日本語のセンスとは話し言葉の中で体得されるもので、これが充分でないのは満足なことばを聞いてこなかったからということだったと記憶する。

お釈迦さまの教えを聞く私たちは、聞く耳をもってすれば何とも有難く受け取れる。だが、よく聞いてはいないのかな…。聞く耳とは、よく話すことに慣れること。つまりお経をもっと、もっと読むことでしょう。

恩送り

2016.11月

 この月は宗祖お会式月で多忙な日々を送ることとなる。お会式は「今日ここで宗祖に面奉し、お題目で生活できることへの感謝を申し上げる。」ことが目的とされるが、最近知ったことに「恩送り」という江戸時代に普通に民衆がしていた行動に注目したい。これは、ハリウッド映画『pay forward可能な王国』にまで反映される。善意を他人に廻すという、正に「恩送り」そのものである。

翻って、私たちが「恩に報う」といい、心がけている行動はなかなか難しい。普段から習慣化された認識でないから余計なのだ。だから一年に一度は、心から恩義に対しての感謝を示す日を設けてみたりと苦心する。しかし、言われてしていた行為もやがては、そのことの大切さに気づければ良しとする。

「恩送り」は、受けた恩を返すのではなく、まったく他人に、それも一人でなくとも複数にして差し上げるところが、これの凄いところだと思われる。しかもこの運動(恩送りが始まった場合には、もはや運動として)が、伝播していくことである。いわゆる正の連鎖が大きく世の中を変えていくという民衆行動になる。

仏意頂戴

2016.10月

 お経は「読む・訓む・上げる・受ける・いただく」さまざまな受け取り方ができる。お経とは私たちの口を介して声に出てくるお釈迦さまのお説法のことをいう。

お釈迦さまがいらっしゃった遠い昔、文字がまだ十分でなかった頃人々は一言も洩らすまいとお説法を真剣に聞いた。お釈迦さま亡き後、人々はお釈迦さまが説いた教えや行いを文章にまとめて残すことを考えた。これが「お経」である。

私たちが声に出して発するお経文は、実はそのまま私自身の耳に届いている。ならば、私たちは知らず知らずのうちにお釈迦さまの教えを、今ここで再現(聞いていること)していることとなる。

「お経を読む」というが、正しくは「聞いている」のであり、さらに、お経は「いただくもの」ということになろう。

見えないもの

2016.9月

 私たちは見えないものに支えられ、そして脅かされてもいる。

東日本大震災につづいて今年は熊本大分の大地震からもつきつけられた現実は痛烈である。想定外ということが起きると騒ぎ出す。

勝手気ままに世の中を左右し、私たちに都合の良いことだけを集めては、これを現実と見做す。
お釈迦さまは「私たちの心が顛倒(ひっくり返る)していては、傍に仏さまが控えているにもかかわらず気がつかない」と仰る。

辛いこと、悲しいことばかりの娑婆を選んで生まれてきた私たちなのだから、今こそ踏ん張る時なのかもしれない。

今さらながらに自我に埋もれた本当の自分自身の姿に気がついた時、あらためて人々への思いやりや苦しみを共に解決していこうという決意までも湧いてくることを教えてくれるのは仏教にほかならない。

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